時任町会創立50周年記念碑除幕式

時任家ごあいさつ

    時 任 英 俊


 ご紹介いただきました、時任為基の4代末裔の時任英俊と申します。  本日は、時任町会創立50周年記念碑除幕式が盛大に開催され誠におめでとうございます。  私は、縁があリ平成18年7月に前任の札幌国税局から函館税務署に異動となり、時任家 ゆかりの地である函館において法人課税の総括責任者として税務行政に携おっております。  また、この度、時任町会創立50周年を記念して、時任為基の名を刻んだ記念碑が建立、 除幕される時に函館に居合わせたことに何か運命的なものを感じている次第でございます。  さて、本日は折角の機会ですので、時任為基について少しお話をさせていただきたいと 思います。  時任家は元々京都の公卿であり、藤原姓から時任姓に改名したものであります。戦国時 代に時任一族が島津公と共に薩摩に下り、代々祐筆(現在の秘書)を務めておりました。  時任為基は、明治維新に西郷隆盛、大久保利通、黒田清隆らと共に働き、その後、北海 道開拓使長官であった黒田清隆と共に北海道の開拓に携わり、初代函館県令に任命されて おります。北海道においては、公務の傍ら、函館を元とする道内の所々に其々数百町歩規 模のアメリカ式乳肉牛飼育生産、直輸入のサラブレッド競走馬育成農場を経営し、範を示 したとのことです。  その後、宮崎県令、大阪府知事、宮城県知事などを歴任し、晩年は貴族院議員となり、 64歳でその生涯を閉じております。  為基は、元々公卿出身でしたので、明治天皇とは特に親しくなり、友人の様に昼夜を問 わず、談合に及んだそうです。  爵位を貰い、貴族に列せられながら、後にこれを返上した(これは例のないことだそう です。)という極めて無欲括淡の人間であったとのことです。  為基の偉業は、我々時任家にとって誇リであり、今般、時任町会が為基の名を記念碑に 刻んでいたことに時任家一同大変感謝しております。本当にありがとうございました。  結びとなりますが、時任町会を元とする函館の益々のご発展と皆様のご健勝を祈念いた しまして、時任家の挨拶とさせていただきます。                               平成20年5月18日

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